物を増やしたくないおたくなんだから物なんか買わなければよかったのに浮かれてシーグリなんかに手を出したからこんなに打ちのめされることになる。
いたはずのところから切り取られて妙なバランスになってしまったあの写真、私も見てしまいました。人一人を無かったことにするのは簡単ですね。こういうことを積み重ねて、いたことを知ってたり話す人がいなくなれば晴れていなくなるということですね。
妙な意固地さとストイックさを持って、あれ以来酒を飲まず甘いものを食べず揚げ物を食べずにいたら1ヶ月で4キロやせて、食と酒に向けていた欲求が音楽と本に向いています。
聞いて聞いて聞いて読んで読んで読んでの繰り返し。
久しぶりのフラニー病に冒されて初めて村上春樹訳のフラニーとゾーイ(ズーイ)を読みました。
解説の宗教的な要素が多くてとっつきにくい、という言葉からもう全く賛同はできませんが。
たくさんのフェミニスト本でホールデンコールフィールドの物語が槍玉に挙げられていたのであれですが、私は高校生と大学生の時に何かあればフラニーとゾーイを、それこそ宗教的に心の支えにしてきたのです。
刊行されていたことを知らなかった、逆さまの森の入った短編集を読んでまた打ちのめされてなにもできなくなっています。
残酷なサリンジャー。
美しくない現実。
音楽をずっと聴いていて、でも皆音楽についての話はしたくないだろうから誰も見ていないここで少し。
音楽をパフォームするという点ではもう半分終わった状態なので私はまた反省点と改善点を見つけて、あとは少しだけ自分を惨めな気分にするために全州のフェスの動画とかショーケースの動画とかをみてCDと聞き比べたりしています。音楽として批評するなら頑張っているなんて評価はあり得ない。
現状最短で公演として一定のクオリティを保つことを目指すなら音源を再録して口パクしかないよね、という気持ちです。私はもう発売されているCDを全部フィジカルで買い直したので余裕です。
その間に誰かが頑張って歌を上手くなること。そしたら不毛なパート不平等問題も片付くし。この間に努力した人にチャンスが巡ってきたっていう、お気持ちじゃないみんなが大好きな血、汗、涙の展開にもなるではないですか。
もう来年にはサバ番巡業も終わるだろうからアクロバットをしないといけない曲をやる必要も無くなるし。グループとして誰かがそれを担わないといけないと判断して別の人がやり出したらあまりにグロテスクすぎる。公演でのお腹見せ芸のように。
消しゴム、本当にいい曲です。
私はもっと前にライブパフォーマンスでやって欲しかった。
公演では絶対ライブボーカルを披露して、自分がこの場でやるべき仕事は何なのかを示し続けていた人がいる間に。