drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

服を着て、生きて死ぬということについて

 お洋服はいつも私の心を狂わせる。

 私は厳密な意味では洋服オタクではない。メゾンの何々期の洋服だけ集めるということもしないし、多少無理してでもハイブランドを買おうともしない。毎月給料の1/3だけお洋服に注ぎ込んでしまう、その程度のお洋服好きなだけだ。

 1人が1年に被服に費やすお金が3万円であるという記事を目にしたのは数年前のことだった。その前からネットにはたった1着のお洋服に何万円を(ときは何百万にもなることもある、当然。)支払うことを揶揄する文章や発言が溢れている。コレクションのランウェイを切り取り、笑いものにしている姿もよく見かける。知らない人も多いので私もこのネットの海の片隅でやっぱりはっきり説明をしておこう。お洋服は私にとってはただの物質ではない。何をどんなふうにいつ着るかはもっと切実な意味を持つ。ライフスタイルじゃない、それ自体がミーニングオブライフなのだ。露悪的に、でかでかとロゴが印刷されたTシャツを着て自分はそのロゴにお金を払っていると宣言する人もいる。一方で何かを犠牲にした激安価格のお洋服をメゾンと比較してあえて着用する人もいる。どちらも私は否定しない。彼らにとってのお洋服はそういった対象で、私にとってはそうじゃない。

 私はshein、ZARAに代表されるファストファッションに手を出すことはもうない。商品デザインがなにかの模倣(これ自体はポップ・カルチャーにおいてよくある事象だが、その模倣がただの模倣で全くおもしろくも美しくもないから)であることをさておいても、大量生産、大量廃棄を前提に作られたお洋服がどういった過程を経てどういった結果をもたらすかを知っているからだ。お洋服が最大の環境汚染の1つの原因であることに好きであるからこそ向き合う方法を考えなければならない。なぜならお洋服が好きでない人は決してそんなことには気を配ってくれないから。

 メゾンのお洋服を買うことは心躍る体験ではあるが、気軽な体験ではない。お洋服は発売されたそのシーズンに一番輝いていて、その後はクローゼットの中で徐々にくすんでいく。だから私は毎シーズン似たような服を山程買い直すことになるのだけれど。でも年に1回はどの服にも儀式のように袖を通す。時代を巡れば息を吹き返すことも多々ある。年齢を重ねてしっくりくる服もある。すべてのお洋服が死ぬことはない。

 ある程度の規模の街にでると別にセンスがいい古着屋でなくてもちょっとした名のあるメゾンの古着をおいていたりするので数ヶ月に1回は覗いて見るようにしている。いつも着ているお店の買いそこねた商品を見つけたりすると、救済などといって購入したりすることもある。タグがついたままきれいな商品をみると、ああ誰かが1回だけ着るためにこんな大金を払ってこんなところに流れ着いたのだなと悲しくなるから。

 ところで今日はすごく状態のいいジルサンダーのスーツ(セットアップ)を見つけた。袖と裾が長い以外は微妙なすれがあるだけで私の体型にすごくフィットしている。(袖と裾を切らないといけないのであればフィットしていないという意見もあると思うが、簡単なお直しで済むものはフィットしているというカテゴリーに入れている。)最高におしゃれな気分になれる上に、1年に20回くらいあるスーツを着なければいけない仕事のときも着られそうなフォーマル感もある。(自分のフィーリングにあうスーツを購入できる場所があまりに少ない。メンズの仕立てのスーツが好きなのだが、チェーンのスーツ専門店ではおよそ手に入れることができない。(レディーススーツは妙にノーカラーにしてみたり、パンツがワイドでカジュアルになりすぎたり、着用したときに気分のあがらない仕立てが多すぎる。))お洋服を着ているときは幸せで満ち足りていたいという私の希望を叶えてくれるスーツだった。しかも、定価の1/3程度の価格で買うことができたのだ。商業施設に入っている古着屋の若い店員は、即日お直しをしてくれる同じ商業施設内のこちらもチェーン店の洋服直し屋に持ち込むことを勧めてくれた。しかして、このお直しをする店では着る長さを店員と相談すると有料になるという!カルチャーショック。(有料なのが嫌なのではなくて、そこの店員の手間を省くことで低価格と即日性を実現しているということに。)これが現代の合理性なのか。でも、スーツという種類のお洋服ってシルエットとスタイルが全てなのでミスをすると台無しになることを私は長く生きていて知っている。そして、素人が自分にセンスがあると思い込むことが大きな間違いになることも痛いほど経験している。古着屋で買ったとしても安くないスーツなので、私はきちんとプロに採寸してもらえる別のお店へ行き。無事スーツのお直しを決行することができた。(いい買い物をしたとお直しの店員に褒められたのも気分が良い。size34のそのスーツは肩幅とウエストはぴったりなのにズボンの裾は多分10cm以上切らなければならなかった。前所有者はお直しをしてなかったことに驚きを表明すると、売り払うために加工しなかったんでしょと慰めてくれたこの店員さんは本当にプロフェッショナルでした。)

 お洋服を着るために生きて死ぬんだと思い過ごしている。自分がセンス良くなる必要だとかは全くなくてどこで誰から何を買うかということを心がけていると自分の着ているものに満足して過ごせると信じている。誰かがおしゃれだね、と言ってくれる時私はそれを当然でしょという顔で受け流すようにしている。だって私は自分の着て所有しているお洋服を愛しているから。(逆に妥協して買ったり、試着室で全然だめだと思ったお洋服は買わない方が良い。このときに気持ちって、何年経っても良い方向に変わることはないので。)