drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

世の中はどこまでも不寛容だから。

2006年のthe informationの時、ベック・ハンセンはもしかするとものすごく怒っていたのかもしれない。iPodが発売され、iTunesという発明が音楽の世界を変えてしまうという不安感や自身の体調も関係していたのかもしれない。みんなが能動的に音楽を聞かなくなったことに怒り、ブロックバスター映画ばかりが作られる状況にも怒っていた。

エリック・ロメールの映画しかみない期間を皆作るべきなんだ、とか言いながら。

2006年の私はベック・ハンセンに共鳴して一緒に怒っていた。

2023年の私はこのベック・ハンセンの発言を振り返ると少し同情し、そして笑ってしまう。

エリック・ロメールの映画だけを観る、これが通じる人がどれだけ世の中にいるのだろう。

こうあるべき世の中があり、それをきっと信じてこんな発言ができる彼のことをでもやっぱり羨ましく思う。

 

世の中は不寛容だ。私はベック・ハンセンを聴き始めた10代のときにはそれを知っていたけど、信じてはいなかったと思う。20代の時にそれを目の当たりにしてそれと抗おうとした。30代になるとそれを諦める気持ちが強くなることもある。そして自分自身が不寛容になっていくことにも気づく。

私達は自分のやり方や考え方しか知らないし理解できないのだ。

そこを超えるには考え方の訓練が、とてつもない訓練が必要なのだ。

 

世の中のシステムに通じるような大きなことから、自分の趣味の世界なんていう小さな世界まで不寛容は貫かれている。

 

K-popの世界を覗くようになって少したち私は常に打ちのめされている。

dynamite新規と言われ、sugaのライブに行った時には昔から好きだったちゃんとした人が行くべきだったと言われた。この曲でシングアロングできないなんてまともなファンじゃないといわれた。

第2世代からリアルタイムでK-popを追い続けていないことを責められる。

10代のファンはよくて、40代のオンマファンもいいけど、30代は切羽詰まっててやばいと言われる。

コンサート中に飛び跳ねるなといわれ、声を出すなといわれ、少しでも体が当たることは許されない。

このグループのこの曲で盛り上がらないなんてなんにもわかっていないねなんて言われたりする。

宇野維正の発言はともかく、誰かをnew jeansおじさんとラベリングし、こいつらがXGにリアクションをしないのはおかしいと決めつける人に私は全然共感しない。

 

きれいにライティングされた舞台の上では、今日もまたアイドルたちがファンダムに愛と感謝を述べているのに。なぜその先にいる私たちはその与えられた愛と感謝を自分のたった半径5mにすら与え返すことができないのか。

 

他人の振る舞いを気にしている暇があるなら自分の好きなものに集中しろよ、私はそうさしてもらうけれど、というそんな気持ちは世の中に対する諦めである。

 

というよりも、こんな狭い世界ですらこんなふうにしか振る舞えない私達はどうしたらより良いものを目指せるのだろう。