drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

11月8日

タコ部屋でねて汗をびっしょりかく。また細切れの睡眠。

でも昨日よりは頭がすっきりしている。

一つの感情すらずっと持ち続けることができないのだ人間の心というものは。

ビヨンセのブレイクマイソウルをかけながら布団からでる。

まだ、K-popを聞く気にはなれない。

この感情に自分の行動を支配されないようにしようと思う。

自分の気持ちをずっと分析している。なにが一番悲しいのか。

アイドルがさかんに言う愛なんて実態のないただの空虚な言葉だとずっと思っていたけれど、実態がなくても伝える相手がいるというのは気分が良いものだったのだなと気づく。

私が一番悲しいのは、テオくんに向かってどんなに感謝していて、どんなに応援しているか、つまり愛を伝えられないことだと気づく。

アイドルとファンダムの関係には名前がつく。仮初めの名前がついている間だけの関係。

彼がDKBである間だけ私はBBであれた。

もうDKBじゃないのであれば、私との関係を表す言葉はない。

私はつい最近まではそれがものすごく気楽で、責任がないからアイドルとペンという関係性を気に入っていたのに。いつでもお互いからなくせる簡単な関係性。私がペンでなくなっても、ひとかたまりの中の一つに過ぎないから相手を傷つける必要がないという気楽さ。アイドルも個人を相手にするんじゃなくてマスを相手にすればいいじゃんという戦略的な関係。

でも、突然こんな風に断ち切られると、この愛を発露する先がなくなるとこんなにうじうじとしてしまうのだね。

(実際の謝罪文や事務所の経緯の説明すらペンカフェという閉じた場所でしかなされなかったというあまりに内向きの環境にも辟易している。こんな内向きの社会だから簡単に存在を消そうとするんだなという攻撃的な気持ちも芽生えてくる。)

 

愛について考えていて、与えられる愛を返せとか裏切ったとかそういう言葉と態度は卑屈で私は嫌になる。

与えている愛は、少なくとも私がテオくんに伝えていた・たかった愛は一方的なものだ。

 

アイドルが自我も芽生えないうちにタコ部屋生活をさせられて、お互いの教育をお互いでやるような環境ならば、なぜアイドルに社会的に正しい行動規範をとることが求められるのだろう。そんなこと到底無理だと誰の目にも明らかなのに。罰則を重くすることで抑止するには歪が生まれる。

 

今日も起こった結果しか公表されていないのに、あたかもその原因を知っているような投稿をみた。

私も少しネットから離れるべきなのかもしれないけれど。

私はそんなふうな妄想で怒ったりすることはない。

原因も経緯もそんなものすべて私達は知る権利もないので月日がたって物事が風化するのを待つだけ。

一方的な愛を受け続けるのも大変なことだと思う。ものすごくしんどいと思う。

そして私は、一方的な愛とか、こんな馬鹿げた狂騒も、すべてなんでもないふうに受け流して次の人生をちゃんと生きていけるくらいアイドルをただの職業と考えられる人が好きで、テオくんはそういう人だと感じることが節々にあったので大丈夫と信じています。

 

 

(こんなことを言うのは間違っていると思うけれど、今日まで朝起きるたびにあなたに関する悲しいニュースが発表されるんじゃないかと恐れていた。そんなことがあっても公表されないのかもと思いながら。)