アパレル業界が未曾有の危機に瀕している。
というよりも、危機に瀕しているところにコロナが最後の引導を渡したのかもしれない。
かつて私が偏愛していたネ・ネットもその歴史に幕をおろすことが明らかにされた。
時代との乖離という悲しい言葉とともに休止が発表された。
かくいう私もかのブランドを着なくなりはや5年位になる。
私の服に対するスタンスとブランドのコンセプトが違ってきたことを感じたからだ。
しかして、私が今日のような服狂いになることに寄与したこのブランドの終焉に餞の言葉を添えたくてこの文章を書いている。
かつて中学生だった私は、少し年上の姉とともに梅田で服を買いにいっていた。
その頃の女子高生はヘップかエストで服を買い漁っていた。両者がギャル専門になる少しまえの時代のことである。
エストの一角にネ・ネットの店舗があった。
ファッションに対する素養もないのにファッション雑誌といえばジッパーか装苑を読んでいた私はそのショップのとりことなった。
お金もなく買えるわけがないお洋服を梅田に行くたびに眺めていた。
初めて買ったのはおばけがテーマの年のフランケンシュタインのキャミソールワンピである。
お店にある全てのお洋服を買いたいくらい好きだった。
8000円くらいのそのお洋服のことをいまでも捨てられずに持っている。
ウェブサイトで確認できる一番古いコレクションは天国と地獄がテーマのものである。
それが2009年のS/Sコレクションなので私が初めて買ったのは2007年か2008年のことだと思う。確か高校生になった頃だ。
その後大学生になってバイトのお給料とか仕送りの殆どをお洋服に費やす様になってネ・ネットに通い詰めた、というほど買ってもないけれどいつの間にか担当の店員さんがつくようになってくれて受注会に誘われた。
初めての受注会は11/12 A/Wのインドの向こう側である。
南堀江のHUMORショップの横のオフィスビルのある階にシーズンのお洋服が一同に揃っている光景はいまでも覚えている。
こんな夢みたいな場所があるんだという喜びとお財布の計算をしながら注文をしていく背筋が凍るような体験。
このころのネ・ネットの独自性とデザインの秀逸さはこの価格帯のブランドとしては飛び抜けていた。
今見返しても買わずにおいたお洋服のことを思って涙が出る。
リミテッドエディションのお洋服は今でも大切にとってある。
その後何度かのシーズンを経てネ・ネットはいつしか人気ブランドになっていた。
インバウンド景気とともにその人気は頂点となった。
にゃーが別ブランドとして展開していったのもその頃のことだ。
そこから何度か担当さんが変わっていつしか私のテイストも変化して(年齢とともに当然の変化を迎えた)店舗に足が向かなくなった。
最後に受注会に参加をしたのは2014 S/Sまでだった。
(こうやって文字にして振り返るとたった3年足らずのできごとであった。そしてその間に3人もの担当さんの変更があった。みなさん結婚をしてやめていってしまった。)
シーズンとしては5回か6回のことだった。
遊びのあるデザインと細部までのこだわりが大好きだった。
各シーズンのキャラクターが施されたレースだとか。
私がネ・ネットに魅了されそして離れて今に至るまでファッションは移り変わっていった。
TOPSHOPだとかForever21だとかがZARAが進出したころ、しまむらだとかアースミュージックアンドエコロジーみたいな激安お洋服が売れるようになった。
ノームコアだとかミニマリストのはやりとともにお洋服をもたないことが褒めそやされるようになった。
激安の中ではZARAとユニクロだけが生き残って、インスタグラムの勃興とともにロゴもののハイブランドが売れるようになった。
(みんな本当にロゴだけを買っていた。アレッサンドロ・ミケーレをしらない人がグッチを買い漁っていた。)
そこにインバウンド景気が重なり、洋服業界はこの世の春を迎えていた。
そしてそれが突然コロナで終わりを迎えた。
ヤフーや5Chをみると洋服業界に対する憎悪が溢れている。
ファッション雑誌の切り取り記事がヤフーニュースに流れると、ハイブランドのバッグやもしくはちょっとしたブランドのお洋服が紹介されるたびに”こんな高いものだれが買うんだ。必要もないのに”といったコメントが書き込まれる。
まるでそんなものを買う人が悪みたいな書き方をされることもある。
服を選ぶ自由は高いものを選ぶ人にだって安いものを選ぶ人にだってあるのに。
ロゴを買う人達のことは私は擁護しない。
お洋服を承認欲求のはけ口にする人たちのことを私は嫌悪しているから。
それと同時に安いからというだけでファストファッションだけを買い漁る人たち、しかもそれを商売にしているようなインフルエンサーたちも私は嫌悪している。
ファストファッションがどれだけハイブランドのデザインをパクリまくり、環境を汚染し、人々を搾取しながら生き抜いているかを無視しながらそれを消費ししかも人に勧めているなんて。
そしてその一方で、デザイン性と独自性を保つブランドが潰れていくなんて。
お洋服には時代性がある。鮮度がある。
昨シーズンにはあれほど大好きだったお洋服が、次の年には色あせて見えることなんてよくある。
それでも服を買うのはやめられないのは一種の病理なのかもしれない。
それを批判する人には決してわからない世界。
お洋服への愛を自覚させてくれた高島さんには感謝してもしきれない。
新しいお洋服を作ってくださるのを楽しみ待っています。