drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

自分の愛の価値を下げるオタクども、よく聞け。

愛にはいろんな種類があります。

サランにはグラデーションがあるのです。

親子の愛、恋人同士の愛、友達に対する愛、一緒に働く人達への愛、見知らぬ他人への愛、もちろんアイドルに対する愛もある。

しかし当然、その愛はすべて同じものを意味はしない。

共通するのは相手を慈しみ、大事にしたいという自分の気持ちだけだ。

 

アイドルが私達に愛をささやくとき、私はその大部分が意味のない記号だと思っている。

ファンというたくさんの個人から形成される概念に対する呼びかけ。

それでも、概念に対する慈しみはあるだろう、きっとね。

私がアイドルを愛していると感じるとき、それは何も具体的なものを持たない。

ただ、一番幸せでいてほしいという思いだけ。

健康で、よく眠れて、好きなことができて、できれば彼・彼女らが望む形での成功を手に入れることができればいいという思い。

 

愛はお金だから、と言い切れる人はお金なんてものに還元できる愛しか持っていないのだと自分の愛の価値を下げているだけだ。

 

当然カリナのことを言っている。

カリナが俳優と付き合っているからといって

自分たちを裏切ったとか

今後CD売上が下がるからな、みてろよとか

わざわざ、またお金を出してトラックを走らせてみせた人

そして、カリナに謝罪をさせた人

その人達のことを言っている。

 

カリナは裏切っていない。

だって彼女が与えた愛にはそんな意図はなかったから。

夢見がちで幼稚なファンが愛の意味を取り違えただけ。

なんて悲しい勘違いだろう。

 

お金をかけることが愛だなんて信じることができるのはあまりに産業に洗脳されすぎているので自分の考えを改めてしっかり世の中とか他者と向き合うべきなのです。

 

カリナが誰かを愛していたことに傷ついたっていいのです。

でもそうやってあなたが大声を出して、自分が傷ついたと主張し、自分のプレゼンスを示そうとする態度そのものが、まさに自分の愛の価値を下げていっていることに気づかなければいけません。

でないとあなたはあまりに惨めな存在のままでそして寄生虫のように次の宿主を探すだけの存在に成り果ててしまうから。

声高に何かを主張をしてもカリナのことを変えることはできません。

彼女に恋愛をやめさせることはできないのです。

まずその事実をしっかり見つめて、自分を良くするように努力しましょうね。

*1

*1:ということで皆さんはことの顛末を知っていると思いますが、オタクさんたちカリナにとりあえず今の恋愛をやめさせることができたんだね。よかったね。愛をお金に置き換えて、それを人質に脅すようなまねがこの産業においては有効だと示されて良かったね。