drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

覚書 CINRAポッドキャストを聴いて思ったこと

致死量のアイドルを最近あびているので、アイドルとファンダムのことを考えずにはいられなくなっていますが、今更web media CINRAの聞くCINRA 田中宗一郎回3回を聞きました。

新規ポッドキャストの立ち上げに際して、メディアとしてどんな意識でやっていくかとかをかなりお父さんモードの田中宗一郎氏が語るもので、やはりお客さんとして招かれているからこそのきちんとした自分の姿勢を示しているので、彼のことを苦手だと感じる人にこそ聴いてほしいEPにできあがっていてすごく良かったです。

 

2000年代の前半、ローティーンの頃にリイシュー版の四重人格のライナーノーツで田中宗一郎氏の文章にであってから、熱烈とはいかず距離を保ちながら追ってきた自分ですが、自分の生活だとか人生だとか考え方がこうなった理由の5%くらいには彼の文章が影響していると思います。

SNOOZERが終わって、the sign magが始まったときと終わったときの、あーこんなふうになるんだなという気持ちとか

ポップライフザポッドキャストローンチのときも当初は毎回聞いていたけれど、様々な理由からだんだんすべてのエピソードを聞くわけじゃなくなったりとか

ザ・サインポッドキャストはやばいと思う商品があればマーチを買い、でもEPは全然聞けていないとか

来阪トークイベントはめちゃくちゃ興奮したのは最初の3回で会場にも行ったけど、どこかの一回がほんとに会場の雰囲気含めてしんどすぎて配信でしか聞かなくなったりなどなど

 

と、つかず離れつというか最近は離れ気味であったのですが今日なんのきっかけもなくザ・サインポッドキャストのフェイブルマンズ回と前述のCINRAポッドキャストを聴いて私が田中宗一郎氏を好きな理由を思い出したので。

 

 

件のポッドキャストにおいてピート・タウンゼンドの言葉から始まる、アートにおいてはオーディエンスだとか受け取り側が一番強いという一連の流れがあるのですが、そういえば田中宗一郎の文章と言葉はいつだって受け取り側に対する信頼があると感じられる、その一点が私はどうしようもなく好きなんです。

ポップライフやザ・サインポッドキャストにはたくさんの話者が登場しますが、意外とその意識が伝わってくる人は少なかったりする。(そりゃそれはそれで当たり前なのだけど。)

 

 

受け取り側を信じるという行動は、(CINRAでのファンダム回でも言及されてますがトキシックファンダムが当たり前になりすぎてこのワードすら死語感のある現在においては、とくにポリコレがキャンセルカルチャーを加速化させてそこに固執する人が増えた現在に置いては)めちゃくちゃ難しいのですが。

思えば私のナンバーワンアイドルの一人でもあるベック・ハンセンも受け取り側を信じている人だと思います。(だから一時期ずっとリスナーに対して、もっと映画を見ろエリック・ロメールだけ見ろとか、聴いて何かを思ったらCDにステッカーを貼って表現しろとかキレていたのだと思う。)

 

本当に彼らが受け取り側を信じているのかどうかはわからないですが、私が言いたいのは、そういうふうに信じさせてくれるというのは大事なことですよねってことです。

 

例えば2010年代後半から2020年代の表現において自己肯定感がないことを当たり前のように戯画化したり、それでなにか深刻に悩んでみせる仕草って増えたし、逆にそれをエンパワーメントするような表現も増えたと思います。

 

私は自己肯定感の低い人にも、そこに対するエンパワーメントにも、共感も感動もできないし、自己肯定感という言葉自体が嫌いというかそんなもんいらねーだろと思っていますが、これは受け取り側を信じている人たちのアートだとか表現に触れてきたので、そんなことを考えなくて済んだというものすごく幸福な10代であったということなのでしょう。

 

アイドゥルがクインカードとアレジーでカムバックした時、私が見ている範囲の反応としてはMVにおける美容整形表現であったり、私は自分のことクインカードとか思えないから共感できないorどんな私でもクインカードだなっているエンパワーメントですよねっていうものが多くてたまげたのですが。

その違和感をはっきりいうと、この2つの楽曲はそれぞれにキュートな箇所もありつつでもtom  boyやNxdeよりはインパクトが薄いということ、Y2Kブームに寄せた曲調であることは一目瞭然なんですがでも今のトレンドとはずれてんなー、先にカムバした他の第四世代ヨジャドルと差別化するためなのかな、でもIVEとかNJに比べると曲のクオリティーが・・・とかそういう話全く無かったという点に尽きるのですが。

つまり、誰も音楽の話をしないのです。音楽に付随するMVの考察とその正しいかについての議論に夢中で。

第四世代ヨジャドルだと私は圧倒的にアイドゥルが大好きなので、もっとそういう話をファンダムがやっていかないとだめでしょと思うわけです。

 

CINRAのポッドキャストで言及されたアーティスト/リスナー/クリティックという三つ巴の関係性があればこそ業界は一番盛り上がるという指摘の中でK-POPは音楽的批評があまりに少なすぎる。

 

((ヨジャドルもナムドルも空前の円盤買付バブルが起きていますが、それが背景では新たなトキシックファンダムを形成しているということがはっきり目撃してしまったのでさらに嫌な気持ちになっている。(ウギ中華バーの彼女のパートを増やさないと、今度から我々は音源を買いません宣言。))

 

ファンダムも業界も批判を必要としないといえばそれまでの話ではありますが、それでは尻すぼみになりますよね。

まあ、私はK-POP賢者やファンダムの中の人からするとそんなことを言う資格すらないNJおばさんでダイナマイト新規でピークタイマーなので、ファンダムと馴れ合う気はないし飽きたらここを去るだけなのですが。