drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

夏が終わり、ボン・イヴェールの季節がはじまる

あなたはもう聞きましたか、この時代におけるボン・イヴェールの新作を。

rot bart barronのクマ好きの人が書いたボン・イヴェール音楽史を併せて読むのがおすすめです。

この広いネットの海を捜索すればすぐにヒットするはず。

 

抑えた筆致で冷静ながらも思いの伝わる文章だったので、そういう物に触れると人は自然と自分も何かを言えるような気がして、このものぐさブログを更新しています。

 

新作について何かを話せるほどi,iを聴き込んでいないのでこの記事ではアルバムについては何も書かない。いつものごとくタイトルだけの話です。

 

 

音楽について書くのはいつも難しい。

私は昔、中学生の頃田中宗一郎に心酔していたので当然音楽ライターを志していた。

私はなんの才覚もないけれど、人と自分の能力の限界を見極めるのだけは得意であった。つまり、必要以上の努力をしたくないので、才覚以上の努力が必要となる道を選ぶという苦行を避けて通る人生を選んだ。

 

田中宗一郎の素晴らしいところは、博識であることはもちろん、他者の目を徹底的に意識している理性的な文章をかけるところである、世間ではどうもそう評価されていないけれど(感情的だという彼に対する批評を目にしたことがある)。アートディレクション的アプローチをとるライターである。

私の敬愛するブレイディみかこは徹底的なリサーチと実地に沿った批評をするのが得意だし、最近話題の辰巳JUNK氏はオタク的アプローチからの批評を得意としている。ような気がする。

 

つまり言いたいこととしては、ライターという職業は少なくともプロである以上の人は自分のスタイルを意識してその仕事を徹底している。メジャーな場で尊敬のできる仕事をする人はおしなべてそうであろう。理性的なのである。

 

私は脳がいつもこんがらがっているので、混乱した文章しかかけない。自分の中で考えがまとまっていないし、リサーチして極めていくという意志にかけている。

ネット上でみかける一般人の文章の域をでない。

高校生になった私はなんとも利口であったので自分の限界を見極めライターという道を諦めた。雑誌文化が衰退していくことも目に見えていたし。

 

私の人生を変えたピートタウンゼントにもベック・ハンセンにも会うことのない人生を送ることを涙ながら選んだのだ。

 

 

時代は流れウェブメディアが勃興する時代が訪れた。

猫も杓子もライターを名乗れる時代が来たのである。

 

私はオタクであるので、素人がネットで仕事を手にする姿を目にしたのはイラストレーターの分野からである。

趣味で絵を書いていた人がネット経由で仕事を頼まれ絵を書き買い叩かれて文句を言うみたいなやりとりはよくみかける。

 

その後ツイッターを注意深くおっていくと音楽界隈でも同じことが起きている事に気づいた。

趣味で音楽についてツイッターで呟いていた人が、ウェブメディアで依頼されてライターとして文章を書いている。

ある種の音楽についてアクティブに語り合ったり、ライブに足繁く通う人たちのコミュニティが非常に小さくて閉鎖的であることは知っていたが、その延長で音楽の批評が始まったのだ。

個人ブログでの音楽批評は伝統的なフォーマットである。

しかし、たぶん金銭が発生しライターと名乗りながらその文章で誰かを啓蒙しているのである。

そんなことは昔からどこでもあったのだろう。どこからがプロで、どこからがアマチュアなのかがはっきりしない業界だから。

 

私が言いたいのは、そんなコミュニティに属してライターをしている人が、ツイッタの自分でのつぶやきだかリツイートだかで、音楽についてネガティブな発言をするのをやめよう、と言っていたことにびっくりしたからである。

 

インターネット文化の罪は人々をinclusionとdiversityからexclusionとuniformityへとシフトさせたことである。

感動の共有だけを彼らは強要しているのか?

 

音楽はお花畑ではない、ライブのたびに界隈の人がリツイートしまくる”幸せな空間”とか”最高の体験”とかに私はうんざりしている。その延長線でのライティングしか認められない場が誕生している。

彼らの世界では、音楽に対する表現は称賛しか存在しないのであろうか。

 

 

コミュニティが狭いと、その中で同じ動きを取るしかなくなるがゆえにexclusionとuniformityが加速するのだ。

 

こんな音楽を作ってるくらいならやめたほうがましでしょ、っていうものは世の中に沢山ある。

世の中をバカにさせる音楽だって確かにある。

批評ってそういうもんでしょ。

はっきりいうと、意志もビジョンもないただ感動の共有だけを目的とした文章が世の中に増えている。これが識者の見解だよみたいな顔をして、ネットの海でプロフェッショナルな商品と同じ棚に置かれているのだ。

 

個人的なまた違う話になるけれども、私がライブに行かなくなった理由を記してこの批判的ブログの締めとする。

 

初めて行ったライブは2007年のベックのthe informationツアー大阪公演である。

パペットが舞台上で踊り、食器を使って演奏をしていたベックらしいアプローチでの当時の音楽への批判が詰まった演出であった。

ライブのもつ独特の熱と空間と人々が作るいわゆる一期一会的感覚が大好きになった。

踊ってばかりの国のシャングリラは最高だった。

まだ髪の毛が長かった頃のセイント・ヴィンセントが30人くらいしか客がいないサマソニでダイブしたのも覚えてる。

 

ライブストリーミングでのフェスも満喫した。

大学の授業をサボって暗くした部屋でイケアのミラーボールをつけてひとりでコーチェラを見ながら踊り狂った。

社会人になってからは行けるライブは対して知らないアーティストでも当日券を買ってバカみたいに行った。

ボン・イヴェールのライブも派手ではないし特殊な演出も特筆すべき出来事はなかったけど、素晴らしい音楽がそこにあった。

すべて、覚えている。

つまらないものもあった。

全部思い出せる。

 

世間とのズレに気づいて楽しめなくなったのは、ベルアンドセバスチャンの来日のときである。

コーチェラかグラストンベリーで彼らの観客を次々舞台に上がらせて一緒に踊るハッピーフィーリングあふれるライブパフォーマンスをみて期待に胸を膨らませて行った。

大阪でもライブ終盤になると次々観客が舞台にあがり、一緒に踊っていた。

ツイッターのタイムラインは予想通り、舞台に上がって一緒に踊ったとか、こんな幸せなライブないよというコメントに溢れかえっていた。

 

ああ、これは彼らのいつからか知らないけれど舞台をやるときのお作法なんだなと気づいた。もう形骸化したパフォーマンスだった。

私にとって感動できたその演出は、ライブストリーミングを通してみたその一回だけだった。

 

ブラーの再結成ライブもいろんな国で何度も行われた。

でも本当に感動的であったのは、グラストンベリーの最初の一回だけだった。映像化したハイドパークのやつじゃない。

 

ライブ表現は、やる方と観る方になんだか強烈な意志がないと陳腐なものにすぐなってしまう。

でもそれは特殊空間でマスクして表現されがちだ。

音楽以上にこれはくそだったって言えない。

 

今でもベック・ハンセンの2009年のツアー大阪公演はくそだった。

満月様顔貌でバックコーラスの女の子より声が出ていなかった彼を思い出す。ライブ前にマジックをやっていたあの公演のこと覚えている人はまだいるだろうか。

 

あらゆる界隈で、その界隈の意志に沿わない人が追い出されている。

ネットの世界はそういう傾向を作り出した。

私の大好きだった音楽の世界でもそうである。ポジティブでハッピーなもののみかたしか受け入れられない時代である。

 

でもそうじゃない、アンガーだけがいつでも時代を動かしてきた。そう私は信じている。

 

完全にしらふ