drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

ポリティカル・コレクトネスに中指突き立てろ

PC、PCと叫ばれて久しい世の中です。

そんな中ポリティカルインコレクトネスをつらぬくモンティ・パイソンをひたすら見ている。

通勤帰宅の際にはalways look on a bright side of lifeをリピート再生している始末である。

ライフオブブライアンのあのめちゃくちゃなエンディングでこの底抜けに明るい曲をエリック・アイドルはなんだか怒りながら歌っているのだ。

 

人生は笑いで死はジョークに過ぎない

とかね。

最後の笑いはお前にかかっているんだぞ

とかね。

 

そんな感じで私の日常はモンティ・パイソンベック・ハンセンハイパースペースに支配されている。

 

 

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">大昔に私が愛媛に住んでいたとき、なんとなしにクラスヌ愛媛に来てくれよとつぶやいたら、田中宗一郎氏がリプをくれてその何ヶ月後かに本当に愛媛でイベントをやってくれたということを思い出した。地方でのこんなイベントがどれだけ貴重か。。。! <a href="https://t.co/0uw32PW7J0">https://t.co/0uw32PW7J0

— でゅーーん (@seemore__glass) <a href="https://twitter.com/seemore__glass/status/1201826770606948352?ref_src=twsrc%5Etfw">December 3, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

 

 

年末の振り返りの季節についったタイムラインに田中宗一郎氏が松山に行くぜという喜ばしい記事が流れてきたので 言わせてほしい。

 

 

私の心のオールタイム・ベスト・ミュージシャンは

ピート・タウンゼント

ベック・ハンセン

ジェームズ・マーフィー

の三人なのですが、それとは別にどんなふうに音楽を聞いて何を考えるべきなのかを教えてくれたのは田中宗一郎である。

クアドロフィニアのライナーを書いていることから氏の存在を知り、アークティック・モンキーズが華々しくデビューをした年からかじりつくようにこの雑誌を読んできた。

音楽について話せる人は周りにいなかったので、スヌーザーを読みながらそこにかかれていることと勝手に議論しながら暮らしてきた。

そんな暗い学生だったわけです。

 

上記のツイートはあまりに私の思い出に強調をおいたものなので気恥ずかしいけれども、たまたま松山に来る企画が立ち上がってたのかもしれないけれど。

それでも、こんな末端のユーザーの声も拾ってくれるのかよという、もう一生ついてくぜ的な感慨を私に抱かせたものである。

田中宗一郎氏は先に上げたように、音楽に関しては私の4大師匠である。

”すべてブルーにこんがらがった部屋で”の中で、氏はクラッシュへの信頼を語っている。話をしたこともない存在だが、クラッシュならばこんな状況をなんとかしてくれるという夢をみたみたいな話だったと思う。

 

松山の片田舎に来てくれるとなったときの氏は私にとってのクラッシュだった、たしかに。

 

ついった初期の、ほのぼのした時代のお話である。

 

松山みたいな地方都市って暮らすのには心地が良いけれど、文化的に閉塞感があるのはたしかである。

私は大阪から出てきたので、あのエリアの狭さとコミュニティの中でお互いを見張り合ってる現象には最後まで馴染めなかった。

そこで暮らしながら、都会に行きたいという人たちのことを私は密かに馬鹿にしていた。

彼らが夢見る都会で手にすることができるいろんなものって、地方都市でも手に入る程度の便利さなのである、と思っていた。

都会は便利だから田舎には住めないという人たちのことも私は馬鹿にしていた。

彼らが都会で享受する便利さとかアクセスしているものって、地方都市でも足を伸ばせばかんたんに手に入るものだからだ。

 

地方都市のもう致命的なところって文化へのアクセスができないところである。

(でも、多くの人はそれを必要としていないから、大丈夫)

 

そんな中、あの時代に多分2012年とかだったと思う、明らかに音楽文化の少ない地にクラスヌが来るという出来事は大きなことだった、少なくとも私にとっては。

 

 

大阪に戻って数年たつけれど、年々ここでも音楽にアクセスすることが難しくなっていると感じる。

2016年はまだましだった。だんだんずっと悪くなってきている。

世の中の暗いムードと斜陽に向かっていく社会を反映しているのかもしれない。

じりじりとした消耗戦に入っているのだろう。

 

この間久しぶりにライブに行った。

flake recordでのインストアライブである。

楽しかったけれど今これをお金をとってもっと広い会場ですることができないのが大阪の現状なのかという悲しい気持ちにもなる。

 

最後は明るい話で締めくくろう。

ベック・ハンセンの新しいアルバム発売に合わせてthe New Yorkerに彼の人生を振り返る記事が出ていた。

そこには彼が離婚をしたこと、サイエントロジーから離れたことがさり気なく書いてあった。

redditではその部分が大きく取り上げられている。

これで彼のファンだと大手を振って言えるね、とか。

 

 

彼の音楽と音楽に対する姿勢はそんなものを超えて一貫した地平を見据えている。

 

gueroとかthe informationの頃の彼に対する世間の冷たい態度を覚えている。

odelayからmutationsを経てmidnite vulturesに至ったときの世間のぞっとするような物言いは雑誌で読んだことがある。

ロッキング・オンではその時代のことを”天高く飛んでいたベック・ハンセンが停滞し、その後翼をもがれて地に落ちた”みたいに書いていた。

(実際にはmidnite vulruresはそんな評価には値しない、素晴らしいレコードである。)

 

彼は25年位音楽を作り続けている、そのうち15年位私は彼の音楽をリアルタイムで聞いている。人生の半分以上だ。

時代は変わった、音楽の中でもたくさんの人が死んで、スターになりまた消えていった。多くのバンドが音楽を作らなくなったり、解散したりした。

 

ベック・ハンセンだけは変わらなかった。

相変わらずみんなに真剣に音楽に向き合えと言い続け、もっと映画を見ろと言い続けている。

 

”僕にとっては宗教より音楽のほうが大切だった。”

 

そうだろうね、でなきゃ彼は今頃人殺しになっているはずだから。

このクリシェだねと言いたくなるような一言を見ただけで私は嬉しい。

 

 

 

 

by 箕面 スタウトビール *2