今月と来月末に久々のブレイディみかこさんの新刊がでるので既刊を読み漁っておるわけですが。
2000年代から2010年代にかけてのイギリスのアンダークラスにおけるソーシャルレイシズム問題がその殆どを占めています。
サッチャー時代に、働かずに生きていく選択肢を与えられた人々が子供を産み、そのまた子供が同じような人生をなぞっていく様。
世間は彼らにchavという名称をつけ、新たな階級に対する差別が生まれていると。
日本のネット世界でも、金はないのに子供ばっかり産みやがってとか。貧困学生?アニメのポスター部屋に貼ってあるのに何が貧困だよ。みたいな議論が吹き荒れたときがあったのを皆さん覚えていらっしゃるだろうか。
それと同じ風景が彼女の本の中にもあった。
貧乏で苦しいんです、というと、自分だって大変だ、そんなこと言ってるある暇があるなら脇目も振らず働け、貧乏人がそれ以外のこと語ってんじゃねえよ、という世界。
今の時代のオアシスは貧乏だったら、ギターを買うこともレコードを買うことも許されないのだ。
音楽やって貧乏っていうなら、そんなもんやらずに働け、ギターもレコードも売っちゃって働け、である。
全世界的に、世界は偏狭になっている。
どこでも一緒じゃんという胸をつかれる思い。
もう、流行遅れの話題かもしれないけれど。(ネットの世界では何もかもがすごい速さで進んでいくから。)
学校に行かないことを売りにしている10歳のyoutuberが話題になっていた。
yahooニュースなんかにある著名なコラムニストのひとが、彼らの主張に引っかかるのは親のいかにもヤンキーな経歴と親子の後ろ髪の長さである、てなんて書いてらっしゃった。
ネットの世界でもヤンキーが何いってんだよとの意見であった。
私も彼らの姿勢は全然支持しない。
彼らは日本のchavなのか。
これが今回の命題である。
ヤンキーのくせに、ははっきりとソーシャルレイシズムであろう。
まあそれもどうでもいいことである。
ブレイディみかこ氏の本には、昔ブレアが人気のあった時かれはすべての階層における教育の徹底を掲げたとかいてある。
教育こそが下層から上層へと駆け上るたった一つの切り札である。
ゆたぼんが下層なのかchavなのかは知らない。まあでも少なくともアッパークラスの上品なおほほほではないことは確かであろう。中層の人間であっても、教育こそが環境につばを吐きかけるための唯一の武器であることは確かであろう。
2000年代の前半には誰もが希求していた教育の機会を、放棄するのも自由だろといってしまうほど現代社会は病んでいるのか、という絶望が私にはある。
そして、そんな彼にすりよってくる自己啓発セミナーとかなんとか塾とか開いて、ただタレント活動しているだけなのに何かを作り出したような顔しているクズみたいな大人たち、ゆたぼんよ、そんな大人たちのその場だけの言葉を自分の生き方の根拠にするんじゃない。
学校に行かなければならないという現実が嫌なのならば、そこから逃げるのは勝手にしろ。
物事に中指立てて生きていくことを選ぶのであれば賢くならないと。
ほんでもって自分の正当性を社会に認めさせようなんてするんじゃない。
年をとると説教臭くなって嫌だね。でも、今回の一見は叩く方にも叩かれる方にもどっちにも中指つきたててやるぜ、私は。