車通勤が始まってラジコプレミアムを契約しいろんなラジオを聞きまくっています。
ポッドキャストもいいけれどそこにはリスナーとの相互通信がないのでラジオの方が好きなのです。
芸人ラジオを聞くのが好きなのでいろんな人のを聞くようになりました。
芸人ラジオには根本にミソジニーがあるなあとも思うのですがそれが面白いときもあるのでフェミニズム的視線から言うと振り上げた拳をどうすればいいのかわからないときもあります。
BLMムーブメントがまた始まって今度はコロナの影響もあって日本でも広く取り上げられるようになって、じゃあ差別ってなんなのよということをずっと考えています。
差別は意思の問題でいろんなレイヤーで起こっているというのが私の根源にある考えです。
10代のころや20代はじめの頃には盲信的に、自分は差別をしていない当然でしょと思い込んでいたのですが、この歳になるともしや自分も差別のるつぼの中に取り込まれて気づかない差別をしているのではないかという懐疑的視線を持つようになりました。
人種の差なんて気にしないよ肌の色の違いなんて気にしない、という無邪気でぱっとみ理想的にすら思える考え方ですら問題視される世の中で、自分の立ち位置と見方を気にしなければいけなくなっている。
無邪気な考え方では生き抜けない世の中です。
自分がどうすべきなのか、じぶんの考え方がどうなのかを意識して行かなければならないということです。
差別とは、差別をもしかして私もしているんじゃないか。
そう考えると怖い。
古臭い考え方が牛耳る業界に身においているのでずっと怖い。
ラジオのお話にかえってみると、芸人ラジオにおける女性の共演者というのは微妙な立場に常に置かれているわけで。
先日ネットで話題になったやる水の小倉優香ラジオやめさせてください宣言にはなんとも言えなくなる。
確かにセクハラ的発言もあったし、彼女が自分のキャリアに必要ないと思うような仕事であればやめてしまえばいいとも思う。でも、あっぱれの中でも水曜日だけを熱烈に愛している身からすれば、ここ数週間の罰ゲームを嫌がる彼女のやり取りは本当にいらいらしたし、プロ意識にかけていた。やめる宣言を一方的に突きつけるやり方も現代的なやり方ではあるけど、どの口が言ってんだよ的視線も捨てられないのだ。
アニマル的考えでいくと後者を強く感じるのだけど、理性的な現代的な目線でいうと前者を支持したいとも思うのだ。
どちらにせよ悲しい事態になってしまったのでなんともいえない思いをぶつけてしまいました。
彼女がどうすべきだったかとか言いたくなるような気がするけれど、もちろん私にそんなのを言う権限はないので言わない。それが正しいわけではないし。
ジェイムズブレイクがアップルのCMに出ているので、あれを見た世間の人たちがどう思うのかわからなくなって哀愁の念に駆られた。
彼がでてきた2012年って彼が出てきたことによって、2000年代のロック・バンドだとかDFA周辺の音楽がはっきり終わったんだなと自覚した瞬間であったので。
彼は間違いなく音楽の神に微笑まれていた。そしてそれまで隆盛を誇っていた音楽たちに斜陽の時代がやってきた。
そしてその後音楽業界は2回転くらいしてメンタルヘルスの時代に至って、コロナ時代の音楽のあり方を探っているところなのだと思う。
あのCMを見ると私が一番音楽を好きだった時代を思い出して切なくなります。