自分が生きているうちにこんな時代がくるなんてこと思いもしなかった、と多くの人が感じていると思う。
いくつもパンデミックを人類は乗り越えてきたはずなのに、どうやって対処すべきかをなぜ知らないのだろうと不思議に思う。
彼らも形を変えているからだろうか。
過去の栄光を振り返るだけで体系的な分析をしていなかったからだろうか。
サンデージャポンで太田光が山王病院の院長に”何が正しいのか教えてくれ”といっていた。(要約すると)
”いろんな専門家がいろんなことを言う、何が正しいのか教えてくれ”と。
答えはだれも知らないので、世の中はこんなに困ったことになっているのに。
コロナの専門家なんて人は一人も存在しないので、感染症一般に対してどう振る舞うべきかの選択肢を提示するのが彼らの役割である。
病気というのはどの病気でも厄介なもので最適解は存在するようでしていない。
ましてや相手は感染症という目に見えることもあるけれどそこにいない証明は一生できないやっかいなやつである。
最終的に、個人レベルでいかに行動するかを決定するのは各個人である。
いろんな立場の専門家が言う意見を聞いて、自分が信じるその一つをもしくは複数を取り入れて行動すべきなのだ。
この情報社会で、何も知らないからどうすればいいかわからない、答えを教えてくれないから取り返しもつかないことになったなんてことを、専門家に対して訴えるのは間違った行動に思える。
答えはだれも知らないので、正しいであろうものを自分で選んでいくしかない。
人生には答えがないという使い古された言葉がある。
コロナにも答えはないのだ、今の所。
医療の専門家は医療のことしかわからないし、その他のことを言うべき立場にはない。少なくとも専門家として話すときは。
医療を優先すれば経済が立ち回らないというのは当然で、経済の専門家からの提言もあるべきだ。
その全てを取りまとめて、では国としてどういう方針で今後行っていくのか、そのために個人一人ひとりがどうすべきかを提言するのは専門家ではなく国である。
何をすべきかわからない個人が訴えるべきなのは指針を示さない政府に対してのはずだ。
美しい国とかクールジャパンとか実態のないものを賛美し続けて、思考停止に陥り、その先のビジョンを持つことなく過ごしてきたしっぺ返しが今やってきている。
民度なんていう、他者を知らないくせにそんなふうに自分を持ち上げることには余念のない国民性で、根拠も再現性もないものに頼って自分を慰めている場合じゃない。
個人が個人を攻撃している場合じゃない。
そんなことをして地べたが疲弊している場合じゃないのだ。
日本のお笑いも、欧米のお笑いもどちらも好きなので、例の脳科学者が言いがちな”日本のお笑いは政治的なことを言わないからだめだ”という意見にはまったく賛成しない。
というよりも、そんなことを言っているやつは向こうのお笑いもあんまり見たことないんじゃないか、もしくはグローバリゼーションの波に乗りそこねているのではないか。
ネットフリックスにはたくさんのコメディスペシャルがあるので政治風刺のお笑いを見たい人はそれでこと足りると思う。
他国で起こっていることは私達の生活にも容易に影響する。
その意味では以前よりも、違う国に暮らしていても同じ現実をシェアすることが増えていると思う。その現実を風刺するコンテンツは私達がアクセスできる範囲内で溢れている。
優れたものを選ぶのがもはや難しいくらいだ。
ネットフリックスで一番クレバーな政治批判番組をやっているのはハサンミンハジで間違いないだろう。
彼の番組名はpatriot actである。
私はこれを皮肉だと思わない。
自分の国がすきでなにが悪いと言った歌手がいたらしい。
彼にとってのpatriot actは自国の抽象的な姿の礼賛だったり、優生思想じみたものを唱えることのようだ。
私はインド移民のハサンのアメリカに対するpatriot actに深く共感する。