このブログを最後に更新してからあまりに多くの物事が世界で起こっていしまったから、それを一つ一つ追っていくのには意味を見いださない。
ルポールのドラァグレースS12をみて、始まる前からいろんなケチがついてしまったシリーズなのにこんなにも楽しめたシーズンもなかったなと噛み締めています。
S11で心が離れてしまったfandomの心を掴むに十分な内容だったのでは。
ランウェイのレベルの高さがともかく素晴らしかったし、ミュージカルも歌のチャレンジもすべてが素晴らしかったし。
今までであればファイナルまでいかなかったであろうクリスタルが残ったのも良かったし。
S12が終盤に近づくにつれて、こんなに素晴らしいシーズンはないねという記事を書こうと思ったのに、コロナ禍のさなかにBLM運動が勃発して世の中はなんだかわさわさしだしたから、ブログという場で何を提示するべきななのかわからなくなってしまったから。
差別ってでもいろんなレイヤーで生まれうるものなので、もうhuman beingを含めたアニマルは差別をすべく遺伝子が形作られているのだと思う。
ある個体にとっての一番の恐怖というか脅威は同一種の別個体だという生物学的事実がある。
自分が優位に立つには他者を差別するしかないのだ。
animalとして生きるのであれば。
人間が唯一の知能を持ち得たanimalと言い張りたい人々こそ、他人と比べて自分が優れていると言いたい人間こそ意思の力で差別をしないという立場を取るべきなのに。
人種差別は根本的には意思の問題である。
自分と違うものは恐れて当然なのだ。
恐れるがゆえに差別するかどうかは意思の問題である。
クィアとよばれる人たちの中でも、そのなかだけで集団生活が始まれば差別が始まりうる。
日本人も息を吐くように差別を繰り返している。
それをそうと気づかないのか飲み会での会話に挟まれている。
黒い四角い画像をSNSでシェアしているとき、自分自身だってスネに傷持つ身であることを感じなければいけないのだ、私達は