drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

クイーンの音楽を聴けば盆気分

ひさびさに実家に帰り、WOWOWで撮ってたクイーンmv特集を見て血脈の話をしてしこたま酔っ払うなど。

クイーンて別にイギリスを代表する偉大なバンドではないけども、日本人の琴線に触れる何かがあるんだろうね。

みんながなんとなくなにかを語りたくなる雰囲気にさせるんだろうね。

 

パンクとかマッドチェスターとか言ってる時代にあんな音楽を作って、後期にはその削りカスみたいな音楽をやっているわけで。

バンドの悲しさと限界とか透けて見える特集であったわけです。

 

 

辰巳JUNKさんという謎のライターがいるわけで、音楽界隈とセレブネタでここ2ー3年でのしてきた印象があります。

たぶん同世代であろう彼女(性別不詳ですがなんとなく女性だと思う)はめっちゃ真面目で硬い音楽評論を書くこともあれば、ついったなんかではオタク丸出しの投稿をしていたりしてつかみどころのない人ではある。

その彼女のブログを読み漁ってみると、2017年のSNLにケイティーペリーが出演した時のとんでもYouTubeリンクが貼られておるわけですが、そこにルポールガールたちが大量に出演しておりました。

 

ライターを取り巻く未来は暗いのではと2010年になんとなく思っていた私ですが、むしろYahoo!ニュースとかネットニュースがこれだけ話題になる時代だから新たな分野を開拓して、雑誌主体の時代よりも影響力を持つようになったんじゃないのと思う。

 

音楽雑誌といっしょに育って多大な影響を受けてきた私としては感慨深い時代である。

音楽の話を書かせても圧倒的ナンバーワンだったのはブレイディみかこさんだった。

近年では活動の幅が広がった故に音楽についての文章を目にする機会が減ってしまい残念に感じる。

音楽ライターの書く文章って基本的にはすごく難しい。そのルーツからどこで音がなってるとか、低域、広域で音が多いとか、読む人を選ぶ文章を書く人が多い。

その一方でブレイディみかこさんの文章は読みやすい。だけど最高なのだ。

きちんと深みに触れながら、読ませる文章なのだ。じんわり心をうつのにクールでソリッドな文章を書くのだ。

 

一方十代の私の心を狂わせたのは間違いなく田中宗一郎氏である。

どうやら賛否両論ある彼のライターとしてのスタイルを諸手を挙げて支持していた。

まあ、でも時代は変わるのだ。

もうSpotifyのPOP LIFEが更新されなくなって半年くらい経つけれど、サインマグ自体がSpotify上での活動をラジオに移したっていうことでしょうが。

一度あのラジオを聞いて、無知な若い女の子におじさんが歴史を教えてる図がつらくてもう聞けなくなった。

聞いたらはまったりおおーっとなるのかもだけど、もう今のメンタリティにはそれが耐えられないのだ。

音楽を仕事に選ばなかったらこんな風になるのかな。

自分の変化が耐えられなくいやになるのだ。

 

ライター悲喜交々だね。

 

 

by アスターレモン

ずっとお城でくらすことを夢見てる

肥大化した自尊心とロマンティシズムが膨らんだ結果、私が憧れるのは帝政末期のロシア貴族の生活である。

まじでドフトエフスキー信者なのである・。

仕事をしているのかい、していないのかいみたいな生活からなんだか細かいお金の計算をしながらも見栄を張りつつ、芸術を愛でながら暮らす生活をしたいのである。

お城みたいな家に住んで、広大な人が綺麗にしてくれる庭を散歩しながら、夜にはウォトカを飲みながらポーカーに勤しみたいのだ。

いつのまにか浮浪者が参加したりして。その浮浪者が翌日の朝には橋のそばでは凍っているようなロシア的世界。

あああ、ヒトラーがキリストになるには老婆を殺すしかなかったと言った人は誰だったか。。。

 

小さな1ldkのしょぼい家に住みながら、目を瞑れば城に住む自分の姿を想像している。

そして死ぬ前には福音書売りになって湖のそばで死んでいくのだ。

 

ところでここ一年わたしの心を引きつけて止まなかったルポールのドラァグレースについてだ。

s11について私が全然心を奪われていないと書いたのは先日の通りである。

 

who-yuki.hatenablog.com

 これは私が今日初めて知ったブログ機能なので貼り付けてみただけ。

 

私がドラァグに期待するのはもうそのファッション性である。非日常と確固たる意志。だからなんだかキラキラする衣装を着るだけのパジェント系はよっぽどキャラが立ってない限り興味がないのである。

 

今回私が全然夢中になれなかった一つの理由として、全然ランウェイが適当だったからである。過去シーズンではもうそれこそアイコニックなランウェイルックを上位、下位関わらず1エピソード1人は披露していたはずなのに、今シーズンは全くである。息を呑むような衣装が少なかった。

ランウェイ評価の一番高かったブルックリンも所詮は誰かの模倣でしかなかった。

それほどのバリエーションがないのであれば、似通ったものが出てきてしまうのも仕方がないのかもしれない。

 

今回のグランドフィナーレでも、番組知名度が上がったからこそお金がかけられたんだろうけれども、そのせいで良さが失われたという感も否めなかった。

今までであれば時間をかけていたであろう、過去シーズンのクイーンたちの登場シーンもおざなりになっていたのも残念なポイントだった。

フォーカスしても多くのクィーンたちが老けているのも感慨深いポイントだった。

アレクシスマテオと、ココモントリース、パンドラブロックの変貌に私はびっくりしたし、他にも整形でやばいクィーンがいた。

その中でラジャのあの一瞬での存在感に圧倒された。

さすがラジャ。圧倒的な余裕の一撃である。

 

ちなみにディフェンディングクィーンのアクエリアの衣装はらしくなくオシャレでもなく、s7で酷評されたケネディーの不死鳥ルックにそっくりで呆れ返ったぜ。

 

あれだけの数のクイーンが登場したんだから、時間かけてもいいじゃない。s11の脱落クイーンたちももうちょっとフォーカスしてやれよ、衣装すらちゃんとみられんやったやん。

 

むしろ大衆のパッケージに迎合していくことで失われていくものもあるのだと、悲しみを覚えずにはいられなかった。

 

 

失われゆく時代に対する渇望がある。

丸谷才一の本を読んだ後だからそんな気分なだけ。

さよなら、世界

 

 

by箕面ビール IPA、シーズナルブレンド

 

これはソーシャルレイシズム? 脱出のためのクラウドファウンディング?

今月と来月末に久々のブレイディみかこさんの新刊がでるので既刊を読み漁っておるわけですが。

2000年代から2010年代にかけてのイギリスのアンダークラスにおけるソーシャルレイシズム問題がその殆どを占めています。

サッチャー時代に、働かずに生きていく選択肢を与えられた人々が子供を産み、そのまた子供が同じような人生をなぞっていく様。

世間は彼らにchavという名称をつけ、新たな階級に対する差別が生まれていると。

 

日本のネット世界でも、金はないのに子供ばっかり産みやがってとか。貧困学生?アニメのポスター部屋に貼ってあるのに何が貧困だよ。みたいな議論が吹き荒れたときがあったのを皆さん覚えていらっしゃるだろうか。

 

それと同じ風景が彼女の本の中にもあった。

 

貧乏で苦しいんです、というと、自分だって大変だ、そんなこと言ってるある暇があるなら脇目も振らず働け、貧乏人がそれ以外のこと語ってんじゃねえよ、という世界。

今の時代のオアシスは貧乏だったら、ギターを買うこともレコードを買うことも許されないのだ。

音楽やって貧乏っていうなら、そんなもんやらずに働け、ギターもレコードも売っちゃって働け、である。

 

全世界的に、世界は偏狭になっている。

どこでも一緒じゃんという胸をつかれる思い。

 

 

もう、流行遅れの話題かもしれないけれど。(ネットの世界では何もかもがすごい速さで進んでいくから。)

学校に行かないことを売りにしている10歳のyoutuberが話題になっていた。

yahooニュースなんかにある著名なコラムニストのひとが、彼らの主張に引っかかるのは親のいかにもヤンキーな経歴と親子の後ろ髪の長さである、てなんて書いてらっしゃった。

ネットの世界でもヤンキーが何いってんだよとの意見であった。

 

私も彼らの姿勢は全然支持しない。

 

 

彼らは日本のchavなのか。

 

これが今回の命題である。

ヤンキーのくせに、ははっきりとソーシャルレイシズムであろう。

 

まあそれもどうでもいいことである。

 

ブレイディみかこ氏の本には、昔ブレアが人気のあった時かれはすべての階層における教育の徹底を掲げたとかいてある。

教育こそが下層から上層へと駆け上るたった一つの切り札である。

 

ゆたぼんが下層なのかchavなのかは知らない。まあでも少なくともアッパークラスの上品なおほほほではないことは確かであろう。中層の人間であっても、教育こそが環境につばを吐きかけるための唯一の武器であることは確かであろう。

 

2000年代の前半には誰もが希求していた教育の機会を、放棄するのも自由だろといってしまうほど現代社会は病んでいるのか、という絶望が私にはある。

 

そして、そんな彼にすりよってくる自己啓発セミナーとかなんとか塾とか開いて、ただタレント活動しているだけなのに何かを作り出したような顔しているクズみたいな大人たち、ゆたぼんよ、そんな大人たちのその場だけの言葉を自分の生き方の根拠にするんじゃない。

学校に行かなければならないという現実が嫌なのならば、そこから逃げるのは勝手にしろ。

物事に中指立てて生きていくことを選ぶのであれば賢くならないと。

ほんでもって自分の正当性を社会に認めさせようなんてするんじゃない。

 

 

年をとると説教臭くなって嫌だね。でも、今回の一見は叩く方にも叩かれる方にもどっちにも中指つきたててやるぜ、私は。

 

byアシードアスター シークワーサ レモンビール

 

 

 

 

文化の盗用?混じり合わないところに文化は生まれない。ぐちゃぐちゃでごちゃまぜの記事です、あしからず。

オッケーグッチ。グッチギャングたち。

SNSブームにのってめちゃくちゃ成功したグッチ、あの古臭いモノグラムをまたブームにさせたのは間違いなくハッシュタグを重視するSNSに違いない。

ひと目見て誰もがわかるものが重視される時代。

 

そんな中グッチのターバン文化の盗用騒動である。

 

文化の盗用とは?

ムスリムが言っても、クリスチャンが言ってもなんと説得力のないことか。

偉大な人類の歴史上、侵略と略奪を繰り返した2大宗教である。

 

盗用を繰り返した先に文化が新しくできたはず。

この100年くらいのことでみんなカリカリしすぎじゃない?

グッチのそれが、デザインとして優れていたかは別にして。

 

当事者の皆さん、気分を害されたらごめん。

 

私は文化の盗用なんてものに対して意識の低い典型的日本人だから。

クリスチャンじゃなくても十字架をジャラジャラつけている人もいるし、原宿までくりだせばターバンをつけた人もいるだろう国に生きている。

日本人にとっては文化の盗用って馴染みの薄い言葉である。

外国人が大挙して押し寄せた6年位まえまでは、日本人と他国人との差異なんてことも強く意識する必要のなかった人種だ。

 

ところが日本は他国から自国の文化をファッションとして貶められることの多い国である。

他国の文化をファッションとして消費し、自国の文化をファッションとして消費されていることに私達ほど無知な人種もいない。

 

ソフィア・コッポラのことを考える。

彼女はいろんな物事をファッションに貶めて表現するのが得意な人だ。

軽薄でヒップなもの見せるだけ。

lost in translationを見てみてよ。そこでの日本はただのファッションだ。ただのエキゾチックな記号である。

それは文化の盗用ですらない。

自分の中に取り入れることなく見世物にしているのだ。

 

 

とここまで書いて何を言いたいのかわからなくなったけれど。ソフィア・コッポラの話に至っては、尊敬するブレイディみかこさんのアナーキーインザーUKを久々に読み直し、心を打たれたから書いてみただけである!

彼女の文章は素晴らしい。最高すぎる。思わず私も盗用して駄文を書き散らしてしまった。

 

 

冒頭でSNSの功罪について触れてみたつもりである。

 

SNSがでて私が一番うわーと思うのは、あるものに対する捉え方が人と人とでこんなにも違うのねという、それを目の当たりにさせられたことである。

小山田壮平という、もう日本の音楽史上ここ10年で最も優れたソングライターであるところの人がつぶやいた2019/4/7のツイートを見てみよう。

それに対するメンションを眺めてみて、ぐええやべえな、痛いやつらが集まってんじゃんと仄暗い気持ちになる。

その翌日に田中宗一郎という、いつも私の下顎にアッパーカットを食らわせてくるおじさんがよせばいいのに的確なツイートをしている。

そのツイートに対するメンションはよくわからんが表示されない。

 

SNSが発達する前、私は同じ音楽を聞いて、それに好意的な人というのは同じ考えをシェアする人のはずで、そんな人達で語りあえれば心が少し満たされるのではと思っていたけれど、そんな幻想を見事にぶち壊してくれた一連の騒動である。

 

小山田壮平が(。。。だから夕日が好き。)と呟いたなかにポエジーな幻想を読み取るとは。

一生ファンタジーティーに住んでろよ。

get back to the fantasy city where you belong

である。ルポールガール的にいうと。

 

そんな簡単に許しを得ようとするな。

希望ばっかり見出そうとすんな。

andymoriは全世界的にみて唯一のlibertinesのあとを継ぐ流れだったと思う。

結末さえもlibertines的である、お見事ははは。

そんなん音楽は大成しないのだ。

絶望しきったそこからの音楽じゃん。許しを得ることなんか求めてない音楽でしょ。

お花畑と思わせてものすごくインテリジェンスな音楽だったじゃん。

 

メンタルイルネスの音楽の時代だって。ビリーアイリッシュがそうカテゴライズされているらしい。

andymoriだってそれに近かったろうね。そしてともすればそれはファンタジーが入り込む呼び水となる。

音楽を聞く時、私達はそれを注意深く切り離さないと。

イルだから素晴らしいんじゃない。そんなものを持ち上げる時代は終わった。

 

そんでもって、昨日のかりそめ天国に投稿してた25歳医学生。マツコちゃんと風俗まんじゅうが言うように、人間にとっての真実は死だけだ。

くだらない全能感に身を委ねるんじゃない。

できることとできないことを見極めることができるようになるのために研鑽を積むんだぜ。

それだけが、高度プロフェッショナル労働制の奴隷な私達の誇りだろ。

 

 

 

by箕面ビール ピルスナー IPA

だって5月はノエルが生まれた月だから、落ち込むことなんて何一つない

さて、皆さんどうよルポールのドラァグレースS11は。

 

SNSでル・ポールガールをフォローしまくってると、インスタの検索ページでネタバレ画像あがりまくるので、米国放送の1週先の結果を知りながらNetflix視聴をしております。

 

今シーズンはなんだか乗り切れない気持ちを抱えながら視聴していたわけですが。

みんな大好きミスバンジーが4週連続くらい悪い評価でも残されてたり、ドラァグスタイル的に全然好きじゃないシルキーが残されたりで審査員たちとの心の距離を感じるのもその一因かもしれない。

ちなみに私の一押し、シュガとニナは2週連続で散っていった。

 

ふたりとも落とされる理由もわからないまま去っていったよね。

ニナが脱落するときは自分の心の落ち込みと重なって、ドラァグレースで初めて泣きました。

オールドスクールドラァグスタイルが好きなのかもしれないなとも。

 

そんなドラァグ熱が冷めかけた今、私の心をひし、と掴んで話さない存在、それが幾原監督のさらざんまいである。

 

我々世代の乙女のバイブル、セーラームーンウテナの監督であることを知り、ピングドラムに心を奪われてからいくにんを追っかけているわけですが。

ユリ熊は難解すぎてほとんど覚えておりません。

 

今回は、あーBLっぽさを入れてきたのね、前は百合だったからと斜めからみてたわけですが、第6話からのはなしの展開にうあああああーと叫びながら、ピングドラムを見直すなどしている日々。おかげで今日は寝不足です。命を燃やしながらアニメを見ている。。。

 

 

人のつながりとか輪の外とか中とかの関係を描くのがいくにんは大好きなんだね。

つながりから断絶されたような設定の子たちが、つながりを求めて必死になる姿とは。

つながりたいが世の中には溢れている。

 

もうつながらなくてもいいや、って決めていくのにつながりが無いことに絶望するのはなぜなんでしょう。

これは私の永遠のテーマ。

つながりを求めてつながってみると、それでもつながらないことに毎日人は絶望しているじゃない。ならば私はつながらないほうがマシなんじゃないと思うのだけれど。

 

 

なんとかつながっている友達に、つながる必要があるの?と尋ねると、つながれなかったことを後悔する前につながらなきゃ、後の人生つながれないことしかないよと言われた。

 

ということで週末考えた末、結婚相談所のカウンセリングに行くことになった。

体験談をいっぱい読んで、3ヶ月で結婚することを決めないといけないって書いてあって、結婚生活に恐怖を覚えた。

ほんとに?

好きになれるかもわからない人と、3ヶ月で結婚するの?

それをあと40年くらい続けるの?

 

空転した考えが、暗闇に飲み込まれて形を変えて私の頭に降ってきた結果私が到達したのは友情結婚という選択肢。

 

ということで、2種類の婚活始めてます。

そんなブログです。

 

by島らいむ

 

平成が終わるというのにこんなにも変わらない私

花の都会生活から北の田舎に閉じ込められて過ごすようになった4月。

見事にお金を使わない日々。

たまに都会にでかけると馬鹿みたいに散財してしまう。

靴下9000円分買うってどうなのよ。あと半年は買わなくて済むね。

 

少し田舎にずれるだけでなんだか閉鎖的な風土があるのか職場でもなじまない日々が続いておるわけですが。

 

何ヶ月前かから覚悟して脱毛に通っているわけですが、ほんとに間抜けな気分になるので通うのが憂鬱です。

これは本当に効果あるのかい、と疑いながら全裸になりうら若いお姉さんにVYOラインを処理してもらうのは情けない気分ね。

お姉さんがどんな感じで施術してるのかは私からは見えないわけですが、なんかプラ手袋すらしてない感じなんだよな。しといてくれよ。

やすっぽい仕切の部屋が20個位並んでて、めちゃくちゃやすっぽい明るいLEDの下で毛根を焼かれる私。

こんなにまじまじ私の陰部みてんのお姉さんが初めてだと思うぜって考えながら横になっとるわけです。

 

時々横の部屋の人は喋ってたりするわけですが、全部聞こえてるからねという申し訳ない気分になる。

かくいう私も人から触られるとこしょばすぎて変な声でそうになるおバカなので、笑い声とか出しちゃって申し訳ない感じになる。

つらい。

そして最後の予約枠でいくとなんとなくおざなりに処理されている気がして損した気分になるね。

 

つるつるになる日を夢見てるけれど、こんな苦労があるのねと身にしみて感じる日々。

 

おばさんになるとこんな結構つらい羞恥にも耐えられるけれど、うら若い高校生とか大学生だとかのお嬢さんたちがこんなのに耐えているのかと思うと涙がでちゃうね。

 

毛深いので悩むのと、人に脱毛される悩みってどちらが深いのか。

 

このパラドックスはあらゆる事象に当てはまると思うので今後長らく続く脱毛通いのときの永遠のテーマになろう。

 

 

by レモンビール 日本酒1杯

こんな世の中だから、と思っているのかどうなのか

暖かくなったと思ったら厳しい寒さが戻ってきたりするここ数日、1年ぶりに婚活を再開せねばという焦燥感に囚われて、キャリ婚にお金を払ってしまった私。

 

年齢認証がおそすぎて払ったものの何もアクションは起こしていない。

 

結婚したいのかいと聞かれるとあんまりする必要性を感じていないのになんだか結婚しなくてはいけないようにさせるのが、これこそが世間になんとなくある結婚ハラスメントというものなのでしょうか。

 

新婚の先輩の奥さんとの家での些細な小競り合いを聞くたびに、なぜ人は結婚を追い求めるのかという問いに立ち返らざるを得ない日々。

 

経済的な支えが欲しくてなのか、心理的な支えが欲しくてなのか、なぜか人は番となることを求めるわけですが、これは種の保存という本能が働くためなのでしょうか。

 

私はもう、それはそれはリベラルな家に生まれて、イギリスだとかアメリカだとかのインディーの音楽を聞いて育ち、ドストエフスキーサリンジャーを心の師匠と崇め生きてきたので、結婚に対するなんの理想もなく30近くまで過ごしてきたわけです。

なんだか首の後ろにいつも死への憧憬を抱きながらね。

 

こんなことを書いていたら短絡的でネットに侵された人たちからそれって中二病でしょといわれそうですが、断固として否と言いたい。

だってこんな世の中に生きていて、むしろそれ以外の希望がありますかとといたい。

いつか死ぬことだけが生きているうちの希望であると。

 

 

誤解を恐れずに言うならば、私は至って心身ともに健康だし、周りの人にも恵まれ、いじめられたことも、人生における他人が想像しうる挫折というものも経験したことがないので、これは希死念慮というものではないと断言できる。(もちろん人生における挫折は私の中ではたくさんある。帝政末期ロシアの貴族に生まれることもできなかったし、グサヴィエドランと同じ年に何もなせなかったし、お城に住むこともできず、ジョニーロットンにも、ラフシモンズにもなれず、バナナフィッシュにうってつけの日に拳銃を頭に突きつけることもできなかった。でもこれは他人に想像し得ない挫折であると理解している。)

 

人には誰もがもつ一つの原始的な要求というものがある。

それは自分のことをたった一人でいいからまるっとわかって包み込んでほしいという欲望である。

ある意味人はそれを結婚に求める。

最近結婚した友達は残酷にも私にこういう。

なにがあっても自分のことを好きでいてくれる人がいることはいいものだと。

 

なるほど、いいね、君は大昔にばらばらにされてしまった自分の半身に出会えたんだね。

いろんな妥協と寛容の後に。

 

私はその欲求が異常に強くて、でも誰かにわかってもらえることをとっくの昔に諦めている。

nobody's empireを聞いて涙してくれる人なんてきっといないってことを知っているから。

 

それでも婚活なんかでそんな相手をお金をかけて探そうとしている。

なんて哀れで無駄なことをしてるんだろうと思う。

 

そんでもって変なやつに変なことをされたりして、無為に時間を過ごすわけですが。

 

 

 

それにしてもキャリ婚の男側の自己紹介欄ってあまりに上から目線だったり偉そうなことが多くてむかつくよね。

婚活とかいう欲求と欲求のぶつかり合いはこころをすり減らせるだけなのにね。

そんなにしてセックスする相手を見つけたいのかよ私はという自己嫌悪とともに今日も、飲んで自己研鑽に勤しむ日々です、あしからず。

 

婚活してるってまじで心を病むんだぜ。

自分を全否定されるような体験を短時間に経験するんだから。

 

自分の意に沿わないこともやったふりをして、そうやって世間とコネクトしたいって結構みじめで健気だなと思いながら涙が出ちゃうわけです。

 

 

byジンジャーハイボール3杯