ドラァグレースホランドが終了し大方の予想通りエンヴィーペルーが優勝しました。
チームママクイーンでしたが自分の中の2面性のようなテーマのときのジャッジの酷さに今回は途中離脱してしまいました。
コロナ渦にも関わらず今年はドラァグレース過剰だったような気もしますが、(2020年だけでS12、AS5,DC1、DH1という過剰さ!)出だしのS12があまりに良かったのでそれを超えられないシリーズという印象を拭えなかったためもう少しシリーズ減らしても良いのではと言いたくなります。
(でもUKは待ってるぜ!)
都構想が否決されたと思えばまた怪しげなムーブをしはじめている人たちもいますが、今週の水曜日から始まったアメリカ大統領選挙が終わろうとしていることに目を向けてみましょう。
トランプが就任した当初から、アメリカのやばさってこんなところまで来ちゃったのか、とか反知性主義ここに極まれり!とか騒いで、さらには彼を支持する日本人(殆どは象徴としての日本が好きそうな人のように見える)がいることを知って、どういう立場で支持しとんねんと笑い転げたりしていましたが、全然進まない開票作業の合間にツイッタートレンドからいろんな人の発言を見てると落ち込むことしきりでした。
彼らがトランプを支持している根拠を見ると中国に対して強硬な立場をとっているからという一点に集約されているのではということ、そしてトランプが負けそうになるやいなや、笑い事やろてきなstop the countを正当な行為だといい、マスコミ批判をし始める。
MAGAを推し進める立場からすると、そりゃ自国以外に乗りに乗っている国があるとそれを叩くのは当たり前でそれがたまたま日本人のめにつくところでは中国だったというだけなのでは。しかもそれが彼ら(象徴としての日本を愛する純日本人を名乗る人々)にとって必ずしも都合のいいように働くとは思わないのですが。
そして、公平なマスコミというのは存在しないので馬鹿な主張をし始めた人をこりゃ映す価値ないぜと中継を打ち切るのも当然では。4年前にトランプが大統領になった途端、こういうふうにいろんな人の意見を切り捨ててきたので彼がそれを仕返しされるのは当然でしょ。
と、私も正しいかわからんけど持論を展開するわけですが。
見ていて思うのはポリティカル・コレクトネスを推し進める世界というのはリベラルの勝利なわけでそこに乗り切れない人たちを馬鹿だとか、あいつらには知性が足りないというボックスに落とし込みお互いに理解しあわないという構図を作り出し、右と左の分断が推し進められたことこそがトランプ的世界の到達した地平なわけです。
リベラルはリベラルの中でしかお話をしないのでその中で無知になってしまったのか。
右の人も左の人も根っこで感じている危機感は同じものに由来しているはずで。
このままこうやって暮らしていたら世界はやばいんじゃないかという漠然とした不安。
それに対するアクションとかこうしたら良いのではという考え方が違うだけで。
トランプを笑っている瞬間から、もうでもあのある意味向こう見ずで突発的な行動にしか未来が見えないと思った人もいるわけです。
私がドラァグレースを見始めたのはたった5年前くらいですが、その時からもこんなふうにかの番組が受け入れられるとは思わなかった。
コンテンツとしての魅力は政治的主張を越えるときがあるのだなと思わされる。
ドラァグレースのなかでルポールはかなり意図的に、クイーンたちに歴史を学び政治的であることを強要する。その態度がどこまで日本で消化されているのかはわからないけれど。
ポリティカル・コレクトネスを意識的に徹底しないといけないということの意味が日本社会ではまだまだ浸透していないとも思う。(BLM問題だって日本に輸入されるまでどれだけ時間がかかったというのか。)
S12でジェイダが勝利したことはすごく意味があったと私は思う。
それでも、そんな背景を知らなくても楽しいよねと言えるだけの魅力あるコンテンツなのでそれを入り口にしてなにかが生まれるかもしれないのでそれはそれで意味があることかもしれないなと思う。
もっと直接的には、ドラァグクイーンたちがメインストリームとなるきっかけを与えたわけだし、それっていままでマイノリティとされてきた人たちが発言をする機会を増やしたという功績があるわけです。
バイデンがかったからといって明日からハッピーワールドになるわけはないので、その中でどうやってすこしでも良い方向にしていくかを私達は考えていかないと行けないわけで。
まあ、私は破滅に向かったってどうだっていいとも思うけれど。