drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

Beck is Home PART2   〜ベックの帰還(そして目指すは宇宙を越えたその先へ)〜

1994年にソニック・ユースのサーストン・ムーアが司会を務めたMTVの”120minutes”にベックがゲストとして登場した。毎週月曜日の午前1時から3時に放送され、他の時間では流せないような変なミュージックビデオばかりを流す番組だった。インタビューはコマーシャル無しで4分くらいだった。その内容は概ね1990年代のオルタナティブカルチャーのシニシズムと作為的な無気力感を反映したものだった。私はこの番組がお気に入りだった。二人とも声を荒げる事なく(興奮を表すにはある種の会話における約束がひつようだったろうが)ただ番組のシナリオをばかにしながらうまく利用していることは明らかだった。

 

ムーアは当時23歳だったベックに”Loser”がヒットしたことをどう思うか尋ねた。

「油の流出事故が起こった海でサーフィンをしている感じ」

と答えた。

「まさにそんな感じだよね」とムーアは返す。

ベックは小さな器械を取り出し溶けたカセットみたいな音を流す。

「そのとおり。」とムーアはいう。

コマーシャルのあとムーアはベックに本当の名前を尋ねる。ベックは彼の靴を壁に放って、ムーアは「わかったよ。」というのだ。

 

MTVに対してふざけるのはまあ間違ってはいない。1年前にベックが”120 minutes”に出演した際には、”MTV makes me want to smoke crack”というシャギーなフォークソングを披露した。”MTVをみてると薬をやりたくなる/窓から飛び降りてそれで終わり”と彼は歌う。近年、セレブリティーは自らの地位に関して感謝の気持ちを述べることしか許されない。しかし、1994年にMTVを観ていた中流階級の郊外の10代の若者たちにとっては、何事も気にしない(もしくはそんなふうな態度をとることが)クールとされていたのだ。私はこの空気感にノスタルジーを覚えた。

 

しかしベックは全く違う現実世界を生きていた。”Loser”のコーラスでは”僕は負け犬だから、ねえなのにどうして僕を殺さないんだ”ーーこの意味ありげな歌詞は怠け者の時代精神の涙を誘い、この一節によってベックはジェネレーションXの時代の寵児となった。しかしこれは根本的に間違っている。ベックは同世代の若者たちとは全く違うリアリティーの中にいた。ラテン系アメリカ人がマジョリティのコミュニティの中で”グエロ”として生き、低所得者層に囲まれて暮らし、退廃した暴力的な地域で過ごしてきたのだ。”Loser”でさえ歌詞は断絶から始まる。:”チンパンジーの時代に僕だけが猿だった”彼は吐き捨てる。

 

ベックの初期の歌詞は支離滅裂でMTVの美学(ジャンプカット{*編集の用語、あるシーンから別のシーンに突然移り変わること}や恣意的なイメージが襲いかかってくるような)に対する皮肉を反映したものだと思われていた。

「当時はうまくやれていないっておもっていた。」

「しくじったんだ。みんなは僕のことをポップカルチャーのジャンクなサーファーだと思ってた。いろんなイメージを詰め込んだ幻想的な言葉を使うのが好きだったからね。そうすることで、言葉は宝石みたいに輝いて見えたから。世の中の多くの曲の歌詞は使い捨てられてどうでもいいよう言葉ばかりに思えた。だから自分の歌詞には生き生きとしてオリジナリティと驚きに溢れた言葉を使おうとした。評論家たちは”君の歌詞ってなんの意味もないんだろ。適当な言葉を投げ込んで並べてるだけなんだ”って。」

「僕はふーん、って思った。この言葉にはよく悩まされたよ。」

「だってさ、どうやったら自分の中にあるイメージをを一つのラインに収めることができるんだろう?この世界の全部を5つの単語で表現できると思う?」

 

 

ある日の午後、ベックはハリウッドにあるキャピタルレコードの13階建てのレコードを積み上げたような円形をしたビルに私を招待してくれた。私達はスタジオBで会った。

「僕のレコードの編曲の殆どはこのスタジオでやってるんだ。」

彼は部屋を指しながら言う。曲のオーケストラパートは自分で編集することが多いのだという。

「ほとんどは単純化する作業だね。このコードは濃すぎるとか、このメロディはひどいサウンドトラックみたいだなって感じでね。」

彼は父との作業を単純に楽しんでいるようだ。

「儀式みたいなものはまったくないんだ。これできる?って聞いてもちろんだよって。そんなふうにね。」

 

ベックのエンジニアの一人デイヴィッドグリーンバウムが山のようなハードドライブを持ってきてくれた。そのンカには何百時間もの未収録の音源があるという。

「無限にあるよね。」

とベックはいい、二人でいくつかのミックスを聴かせてくれた。”hyperspace”の別の曲や”Roma”にインスパイアされた曲、古いデモ、”rococo”と題された未発表アルバムに入るはずだった重厚な螺旋状のクラフトワークのような曲もあった。曲の多彩さはくらくらするほどで、ベックのボーカルだけを取り出してみても表現するのは難しい、ファルセット、ラップ調などなど。

 

「彼みたいな音楽家はいないよ。」後にグリーンバウムは私に言った。

「誰一人として彼みたいに深く音楽を探求してる人はいない。」彼はベックのスタジオでの徹底した仕事ぶりを語る。「彼は何万もの違うバージョンだとかアプローチをすべて試すんだよ。一旦出来上がったものよりいいものができるんじゃないかって思ってね。どんなに深く掘り下げていったとしても、前のものより良くないって思ったら喜んでもとのアイディアともとの状態に戻ってくるんだ。」

 

 

ベックの父キャンベルは編曲したときと曲が発表されたときで全く違うものに変わったことが何回もあるという。「私が編曲したに曲には違いないのですが、別の形になっているんです。毎度のことなんです。そのたびに”うわー、全く別の曲だな”と思うのです。すごく新鮮な気持ちになれますよ。」

 

10代の頃ベックは映画が好きだった。特にヨーロッパの大胆でユーモアに溢れる作家のものを好んだという。

フェデリコ・フェリーニ、ジャン・リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーミケランジェロ・アントニオーニルイス・ブニュエルとかね。」

「”Odelay”は僕の生まれ育った場所のバージョンでのフェデリコ・フェリーニをやろうとしたんだ。」

彼のお気に入りの映画監督たちは普通の日常を捻じ曲げて、まるで幻想的なものに作り変えることができる。ベックが言うところの「狂気と幻想と詩的な瞬間」に。

「こういった映画を理解してはなかった。ただ”なんだこれは?”って。でもすごいことが起こってるんだって感じたんだ。」

 

ベックの音楽はたいていポップ・ミュージックに分類される。特にここ10年間は大きな野外フェスティバルのビール売り場でも流されるようなアンセムにシフトしていっている。しかしその中にもするりとアヴァンギャルドなカノンを落とし込み、より空想的なイメージの強い音楽家たちのような仕事もやってみせる。ジョンアッシュベリーの詩を彼にメールすると、アッシュベリーの本が積み上げられた写真を送ってきた。本の背はひび割れていた。

 

”hyperspace”におけるやわらかなシンセサイザーの音は我々に何かを問いかけるような賛美歌のような響きを持っている。

「だんだんシンプルなラインのもつ美しさにとりつかれるようになったんだ。例えば話をしているときは二度と振り返ることのないようなことも曲の中では際立って見えるようになるんだ。」

 

アルバム全11曲中7曲はファレル・ウィリアムスとの共作だ。ウィリアムスは現代ポップミュージックを定義付けた人物である。彼の”hyperspace”における貢献はラジオで流れる以外のものである。”saw lightning”はウィリアムスが共に書き、プロデュースし、さらに歌ってもいるが(かれのパートはかすかではぎり取られたようにみえる)どれもミニマルでもマキシマルでもあり、ビートがスライド・ギターやベースラインによってとぎれとぎれに聞こえてくる。

「賢い男なんだ。、時宜や大衆の求めているものを理解しどのタイミングで現れるべきかを正確にわかっている。」ウィリアムスはベックをこう評する。「いつもそれを彼らしいやり方でやってのけるから楽しいんだ。僕はベックをそのやり方が好きなんだ。同時代の音楽全てから突出しているし、みんなと同じことはしない。彼はいつも草原を歩いてきたんだ。ロサンゼルスやシアトルには高速道路もあるのに、彼だけはいつも彼の心の中の草原にいるんだよ。」

 

ウィリアムスは二人の曲に対するアプローチは全く異なっているが、互いに補い合うようなものだという。

「僕らの共通点は面白くて新しいものをさがしてるってこと。一つの大理石をみても、僕らは違う鏨をつかって彫刻を作り上げるんだよ{*完全なる意訳、意訳中の意訳です。}」

 

ベックの音楽をつなぐ物語の糸は、やわらかな実存の強迫や無常感であろう。”子どもたちが走り続ける場所なんてない/君もなにか見つけるだろうね”アルバム最後の曲"Everlasting nothing"で彼はこう歌う。愛の興奮の中でのぼんやりとした瞑想を歌う”chemical”のコーラスは哀願のように聞こえる;"愛は化学的なものだから/もう一度、もう一度始めよう"と。彼の歌声は霧散する。彼はしばしば、二人の人間がお互いの存在に気づく壮大な瞬間について歌う。私達と同じように、ベックもなにか美しいものとのふれあいを求める。しかし同時に彼は人生が陳腐なものになりがちであることも知っている。”hyperspace”のはじめのシングル曲"uneventful days"では、彼はパートナーとの感情的なデタント{*緊張緩和}について言及する。”何を言っても僕にとってはどうでもいいんだ/君の考えを変えることもできない”。彼の声は優しくそして疲れ果てたように聞こえる。この曲ではぼやけたシンセサイザーのリフが続くが暗さではなく退屈を表現しているのだ。もう一度気分良くなるにはどれくらい待てばいいんだ?はじめのバースでベックは”孤独”という言葉を使う。ボーカルエフェクトもあたかも彼が本当に孤独であるかのように響いている。まさに、悲嘆の後でなにか次に起こることが待ち構えているようなギリギリの状況が曲のなかで表現されている。ベックはその輪郭を本能的に捉えているようだ。

 

彼は”hyperspace”はある意味飢餓感についてのアルバムだという。

「僕にとってはデジタル社会に潜んでいるものに思える、何かを切望することがね。」

「テクノロジーは人間同士の交流や相互作用を奪ったなんてよく言われるけれど、僕は違うと思う。最終的には生のつながりを希求するようになると思うんだ。」

 

パシフィックダイニングカー{*L.A.のレストラン}は1990年にサンタモニカに2店舗目をオープンしたが、太古の昔からシュリンプカクテルを出していたようにも思える。ベックと私がついたときには、金曜の深夜で店は図書館のように静まり返っていた。美しく精巧なカーペットの敷かれた床を通って、緑のビニール椅子の席についた。銀製の花瓶には黄色いバラが描かれている。ウェイターは蝶ネクタイをつけていた。

デイヴィッド・リンチの”Bonanza”みたいだろ。」

ベックはリブステーキとほうれん草のクリームあえ、マッシュポテトを注文した。

 

 

夕食の後、海までドライブした。ベックは時々太平洋の様子を見に訪れるという。車からでて波打ち際を歩く。細い三日月が夜空に浮かんでいる。私達はどうやって、いつ音楽を作り終わったかどうか気づくのかについて話をした。

「”終わったかな?”っていうポイントがあるんだよ。」

「でも目覚めると作っている音楽のことばかり考えているよ。メロディーやハーモニーやベースラインについてね。頭の中でずーっとラジオが流れてるみたいにね。」

もしかして自分が世界にあってほしいと思うものを作ったときに終着点なの?と私は尋ねた。彼は少しの間考えてこういった。

「やりきったかどうかはまだわからないよ。」

 

 

 

*1

 

byコロナビール1本

*1:終わった。これをするのになんと20時間くらいかけている、そして両手の痛みという代償を抱えて。これでお酒を浴びるほど飲んだっていいんだという開放感に溢れて。。。