今更ながらボージャック・ホースマンを見始めています。S1E1で大笑いしたあとなんだかわからないままほろほろ泣かされて、S5まで一気に見て後最終エピソードを残すのみ。
アニメーションでしか描けないアメリカ現代批評であるわけですが、S5は最も現実世界の問題とクロスしている。
自分がくだらなくてどうしようもない存在だと理解しながら、その肥大した自己愛で自分だけを許して生きていくボージャック。
視聴者はボージャックが愛すべきどうしようもない主人公なのか、#Me tooムーブメントでまさに私達がやり玉に挙げてきた憎むべきマジョリティの白人男性像なのかわからなくなる。
薬を過剰摂取し現実かドラマかわからなくなるエピソードは見ていて苦しくなる。S1からのユーモアは配されているけれど、息苦しさが蔓延している。
ボージャック・ホースマンは突拍子もないフィクションの世界を舞台でしか描くことができないくらい、暗い話である。
もちろんそこで語られる物語だけでなく、アニメーション表現としてもものすごく良くできている。
シュガーマンの別荘に訪れたS4E2は特筆すべきできであろう。
過去と現在を重ね合わせてかたるボージャックの仄暗い血脈。
ボージャックがどうしようもないのは親のせいだよ、とS1で言っていたかもしれない人々を黙らせるエピソードだ。
ボージャックがどうしようもないのは母親のせいだけど、母親がどうしようもないのはシュガーマンのせいだから。
これを永遠に繰り返して、どうしようもないことの責任を人のせいにし続けるのだ、人間は。
ボージャックの罪はそれを自分で断ち切れないどうしようもない弱さにある。
回想にでてくるボージャックの父は、今のボージャックにそっくりだ。
どうしようもないボージャックに自分を重ねて慰めるのはおわりだね、ダイアン。
by 完全にしらふ