オッケーグッチ。グッチギャングたち。
SNSブームにのってめちゃくちゃ成功したグッチ、あの古臭いモノグラムをまたブームにさせたのは間違いなくハッシュタグを重視するSNSに違いない。
ひと目見て誰もがわかるものが重視される時代。
そんな中グッチのターバン文化の盗用騒動である。
文化の盗用とは?
ムスリムが言っても、クリスチャンが言ってもなんと説得力のないことか。
偉大な人類の歴史上、侵略と略奪を繰り返した2大宗教である。
盗用を繰り返した先に文化が新しくできたはず。
この100年くらいのことでみんなカリカリしすぎじゃない?
グッチのそれが、デザインとして優れていたかは別にして。
当事者の皆さん、気分を害されたらごめん。
私は文化の盗用なんてものに対して意識の低い典型的日本人だから。
クリスチャンじゃなくても十字架をジャラジャラつけている人もいるし、原宿までくりだせばターバンをつけた人もいるだろう国に生きている。
日本人にとっては文化の盗用って馴染みの薄い言葉である。
外国人が大挙して押し寄せた6年位まえまでは、日本人と他国人との差異なんてことも強く意識する必要のなかった人種だ。
ところが日本は他国から自国の文化をファッションとして貶められることの多い国である。
他国の文化をファッションとして消費し、自国の文化をファッションとして消費されていることに私達ほど無知な人種もいない。
ソフィア・コッポラのことを考える。
彼女はいろんな物事をファッションに貶めて表現するのが得意な人だ。
軽薄でヒップなもの見せるだけ。
lost in translationを見てみてよ。そこでの日本はただのファッションだ。ただのエキゾチックな記号である。
それは文化の盗用ですらない。
自分の中に取り入れることなく見世物にしているのだ。
とここまで書いて何を言いたいのかわからなくなったけれど。ソフィア・コッポラの話に至っては、尊敬するブレイディみかこさんのアナーキーインザーUKを久々に読み直し、心を打たれたから書いてみただけである!
彼女の文章は素晴らしい。最高すぎる。思わず私も盗用して駄文を書き散らしてしまった。
冒頭でSNSの功罪について触れてみたつもりである。
SNSがでて私が一番うわーと思うのは、あるものに対する捉え方が人と人とでこんなにも違うのねという、それを目の当たりにさせられたことである。
小山田壮平という、もう日本の音楽史上ここ10年で最も優れたソングライターであるところの人がつぶやいた2019/4/7のツイートを見てみよう。
それに対するメンションを眺めてみて、ぐええやべえな、痛いやつらが集まってんじゃんと仄暗い気持ちになる。
その翌日に田中宗一郎という、いつも私の下顎にアッパーカットを食らわせてくるおじさんがよせばいいのに的確なツイートをしている。
そのツイートに対するメンションはよくわからんが表示されない。
SNSが発達する前、私は同じ音楽を聞いて、それに好意的な人というのは同じ考えをシェアする人のはずで、そんな人達で語りあえれば心が少し満たされるのではと思っていたけれど、そんな幻想を見事にぶち壊してくれた一連の騒動である。
小山田壮平が(。。。だから夕日が好き。)と呟いたなかにポエジーな幻想を読み取るとは。
get back to the fantasy city where you belong
である。ルポールガール的にいうと。
そんな簡単に許しを得ようとするな。
希望ばっかり見出そうとすんな。
andymoriは全世界的にみて唯一のlibertinesのあとを継ぐ流れだったと思う。
結末さえもlibertines的である、お見事ははは。
そんなん音楽は大成しないのだ。
絶望しきったそこからの音楽じゃん。許しを得ることなんか求めてない音楽でしょ。
お花畑と思わせてものすごくインテリジェンスな音楽だったじゃん。
メンタルイルネスの音楽の時代だって。ビリーアイリッシュがそうカテゴライズされているらしい。
andymoriだってそれに近かったろうね。そしてともすればそれはファンタジーが入り込む呼び水となる。
音楽を聞く時、私達はそれを注意深く切り離さないと。
イルだから素晴らしいんじゃない。そんなものを持ち上げる時代は終わった。
そんでもって、昨日のかりそめ天国に投稿してた25歳医学生。マツコちゃんと風俗まんじゅうが言うように、人間にとっての真実は死だけだ。
くだらない全能感に身を委ねるんじゃない。
できることとできないことを見極めることができるようになるのために研鑽を積むんだぜ。
それだけが、高度プロフェッショナル労働制の奴隷な私達の誇りだろ。