drunken J**** in a motel room

文字通り酔っ払った時に書いてるブログ

こんな世の中だから、と思っているのかどうなのか

暖かくなったと思ったら厳しい寒さが戻ってきたりするここ数日、1年ぶりに婚活を再開せねばという焦燥感に囚われて、キャリ婚にお金を払ってしまった私。

 

年齢認証がおそすぎて払ったものの何もアクションは起こしていない。

 

結婚したいのかいと聞かれるとあんまりする必要性を感じていないのになんだか結婚しなくてはいけないようにさせるのが、これこそが世間になんとなくある結婚ハラスメントというものなのでしょうか。

 

新婚の先輩の奥さんとの家での些細な小競り合いを聞くたびに、なぜ人は結婚を追い求めるのかという問いに立ち返らざるを得ない日々。

 

経済的な支えが欲しくてなのか、心理的な支えが欲しくてなのか、なぜか人は番となることを求めるわけですが、これは種の保存という本能が働くためなのでしょうか。

 

私はもう、それはそれはリベラルな家に生まれて、イギリスだとかアメリカだとかのインディーの音楽を聞いて育ち、ドストエフスキーサリンジャーを心の師匠と崇め生きてきたので、結婚に対するなんの理想もなく30近くまで過ごしてきたわけです。

なんだか首の後ろにいつも死への憧憬を抱きながらね。

 

こんなことを書いていたら短絡的でネットに侵された人たちからそれって中二病でしょといわれそうですが、断固として否と言いたい。

だってこんな世の中に生きていて、むしろそれ以外の希望がありますかとといたい。

いつか死ぬことだけが生きているうちの希望であると。

 

 

誤解を恐れずに言うならば、私は至って心身ともに健康だし、周りの人にも恵まれ、いじめられたことも、人生における他人が想像しうる挫折というものも経験したことがないので、これは希死念慮というものではないと断言できる。(もちろん人生における挫折は私の中ではたくさんある。帝政末期ロシアの貴族に生まれることもできなかったし、グサヴィエドランと同じ年に何もなせなかったし、お城に住むこともできず、ジョニーロットンにも、ラフシモンズにもなれず、バナナフィッシュにうってつけの日に拳銃を頭に突きつけることもできなかった。でもこれは他人に想像し得ない挫折であると理解している。)

 

人には誰もがもつ一つの原始的な要求というものがある。

それは自分のことをたった一人でいいからまるっとわかって包み込んでほしいという欲望である。

ある意味人はそれを結婚に求める。

最近結婚した友達は残酷にも私にこういう。

なにがあっても自分のことを好きでいてくれる人がいることはいいものだと。

 

なるほど、いいね、君は大昔にばらばらにされてしまった自分の半身に出会えたんだね。

いろんな妥協と寛容の後に。

 

私はその欲求が異常に強くて、でも誰かにわかってもらえることをとっくの昔に諦めている。

nobody's empireを聞いて涙してくれる人なんてきっといないってことを知っているから。

 

それでも婚活なんかでそんな相手をお金をかけて探そうとしている。

なんて哀れで無駄なことをしてるんだろうと思う。

 

そんでもって変なやつに変なことをされたりして、無為に時間を過ごすわけですが。

 

 

 

それにしてもキャリ婚の男側の自己紹介欄ってあまりに上から目線だったり偉そうなことが多くてむかつくよね。

婚活とかいう欲求と欲求のぶつかり合いはこころをすり減らせるだけなのにね。

そんなにしてセックスする相手を見つけたいのかよ私はという自己嫌悪とともに今日も、飲んで自己研鑽に勤しむ日々です、あしからず。

 

婚活してるってまじで心を病むんだぜ。

自分を全否定されるような体験を短時間に経験するんだから。

 

自分の意に沿わないこともやったふりをして、そうやって世間とコネクトしたいって結構みじめで健気だなと思いながら涙が出ちゃうわけです。

 

 

byジンジャーハイボール3杯